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アナテマ・フィジクス1

かとりょー

本文

[bgm song-of-insects][bg rooftop-night-blur] 熱気の消えた、ゆるい風。裏の林から虫の声が聞こえる。

 頭上を仰ぐと、思っていた以上に多くの星がまたたいていた。いまは七月。深夜一時過ぎだから、あれはもう秋の星座……えーと、形からしてペガスス座だろうか?

 コンクリートの床を歩く自分。それが自分じゃないようで、さっき見ていた夢の感触がまだ肌に残っている。

 あれ?

 誰かいる。鉄柵のそばで、口を引き結んで空を見上げる女子生徒。

[page][filter none][bg ap_nami_1.png][page][filter black][bg rooftop-night-blur] ああ、あいつか。

 たしか名前は、えーと、洲原奈美。二ヶ月くらいまえに入部してきたやつだ。

 俺は科学部っていう高校の部活に所属してる。物理でも、化学でも地学でもなんでも科学らしいことをやってるとこだ。

 そんなに専門的なことはしない。活動内容はゆるい。部内で最近流行してるのは電子工作だ。Arduinoとかいうので遊んでいるやつが何人かいる。

 ちなみに俺はその中に入っていない。最初はやっていたけど、熱中できる時期は過ぎてしまった。

[page] 今夜のイベントは天体観測のだ。科学部が月一くらいに行っている合宿で、金曜の夜に部員が集まり、翌日の朝まで空を眺める。

 洲原は観測に集中してるらしく、近づいていっても動かない。

 邪魔しちゃ悪いかな。

 足音をたてないよう注意しながら、非常口の電灯から離れたところまで歩いていく。

 せっかく屋上まで来たんだ。ちょっとでもいい星を見たい。

 かろうじて表情がわかるくらいの距離で、なんとなく洲原を見つめる。

[page] 中学生と間違われるほどちいさな身体で、釣り目がちで大きな両目。子猫のようだとひそかな人気があるのもわかる。

 だが実際に話してみるとすぐわかるが、あいつは子猫なんてもんじゃない。

 洲原はとにかく気むずかしいやつだ。科学部では口数がすくなく、まず自分からはしゃべらない。

 ぶ厚く大きな英語の本をよく読んでいて、話しかけるとものすごくいやそうな顔をする。

 「あなたにわたしの読書を邪魔する権利があるの?」と言わんばかりの強い瞳で睨まれたことは、科学部部員ならだれしも経験したことがあるだろう。俺もある。

[page] それでも顧問が注意しないのは、あいつがとんでもない天才だかららしい。

 洲原はおそろしく頭の回転が速いやつで、しかも知識量が並みじゃない。理系の分野ではすでに大学レベルに達してるとかなんとか。

 それで誰からも邪魔されず、自由なふるまいがなかば許されている……らしい。

[page] 片目を閉じて、真摯と呼んでいいほどの姿勢で望遠鏡に視線を注ぐ洲原。

 端正な顔立ち。こうして見てるだけだと、ただの女の子に見えるけどな。

 いや、「ただの」じゃなくて、きれいな女の子。見かけだけならかわいいと言っていい。

 微動だにしないそいつは凍りついたみたいで、まるで俺たちの時間が止まったみたいで――。

[page]「よし」

 洲原の声が聞こえた。

 そいつは鉄柵に手をかけ、よじ登った。

「え__?」

 足を回して、乗り越える。

 あっさり柵の向こうに行ってしまったそいつは、足下に首を巡らせた。

 屋上の、柵の外。一歩踏み外せば転落する、そんな場所だ。

[page]「なにしてるんだ」

 思わず呼びかけた。

 そいつは俺に目を向けた。はっと目を見開き、なにか言おうとして。

「あっ」

 その手が柵から離れた。

「あっ……え? ちょ、や、やああああああっ!」

[page][bg ev63c.jpg][page]「おわっ」

 俺は跳んだ。

 腕を伸ばし、かろうじてそいつの細い手首をとらえた。

 体重がすべて腕一本にかかる。

「ぐっ……お」

 予想以上に重い。片腕じゃ支えきれない。

[page]「やっ……お、落ちるぅ!」

「落とさねえよっ」

 右手も伸ばして、両手で捕まえる。これでなんとか持ち上げられるだろう。

「離さないで! あたしの手を離さないで!」

「わかってる!」

 体勢を整え、一気に引き上げようとする。

 ……?

 足が、浮いた。

[page][bgm none][bg black] 上半身を前に出しすぎていた。

 後ろに戻れない。俺、もしかして、こいつと一緒に落ちる?

 柵を越えて、その向こう。電灯が届かない、暗闇が正面に見えた。ここは地上四階だ。地面につくまで数十メートルはある。このまま落下したら結果がどうなるか一瞬で想像が頭を巡る。

 取れそうで取れないバランスがとうとう崩れて。

 本当に、落ちた。

「うおおおっ」

「ひゃああ!」

[page][se damage1] 痛い。けど、死んではいない。大けがもしていない。せいぜい軽い打ち身程度。

 目を開けると。

 身体の下に、そいつがいた。

 運が良かったのか悪かったのか、手が胸をつかんでいたりはしない。

 でも。

 顔が近い。温かな息を肌に感じる。

[page][bgm starlight]「どいて」

「あ……」

「どいて!」

「わ、悪い」

 急いで跳ね上がり、洲原から離れる。

 立ち上がった洲原はむすっとした態度。そうなるのも当然だが。

[page][bg rooftop-night-blur] なんだ。

「もう一段あったのか」

 俺たちがいるのは、屋上のふちの下。一メートルほど床が低い、屋上の下フロアだった。

 上フロアからここに来るルートはない。隣接しているのに、柵を乗り越える以外に行き来できないみたいだ。屋上に来る機会がなかったから、こんな場所があるなんて知らなかった。

「なにしようとしたの?」

 きつい目で洲原が詰問してきた。

「いや、えと、勘違いするな。変なことしようとはしてない」

「そうじゃなくて!」

[page]「助けようとしたんでしょ。あたしが落ちそうだとか、勝手に誤解して」

「お、おう」

「……あんなとこから落ちないわよ」

「でも実際落ちただろ」

「それはあんたが突然出てきたから! 誰もいないと思ってたのに……びっくりしたのよ。」

 そうかよ。さっきのはどう見ても危険だったと思うがな。

「それに、落ちてもたいしたことない」

「……ああ、なるほど」

 それはわかる。

[page] ふたつのフロアに分かれている屋上。その高さにはせいぜい一メートルくらいの差しかない。気をつけていれば、落ちても怪我はしないだろう。

 だが俺が助けようとしたせいで、こいつはうまく着地できない体勢で落ちてしまった。罪悪感がないわけじゃない。

「すまなかった」

「んー……」

 不機嫌な顔は変わらない。

「謝るよ。ごめん」

「……」

「申し訳ございませんでした……どうか許してください……」

 勢いよく頭まで下げる。

「……はー」

 洲原の顔つきがやわらいだ。

[page]「もういいわよ。気にしなくて。悪気はなかったんだし」 よかった。もう怒ってないみたいだ。

「なに、しようとしてたんだ?」

「星座を見ようとしてた」

「……それで、なんで柵から降りようと?」

「しし座が見たかったのよね。上の屋上フロアからだと見えないけど、下フロアだったら見えるかと思ったの」 

「じゃあ、見えるか? ここから」

[page]「うーん……」

 せまい屋上フロアを歩き回ってから洲原はこう結論づけた。

「無理ね、やっぱり」

「……」

 痛い思いをしたってのに、あんまりだ。

[page]「ところで、誰か来たら、叱られるんじゃないか」

「そう? どうせ見つからないと思うけど」

「万が一がある」

「んー……じゃ、戻る?」

「そのほうがいい」

 このフロア、明かりがなくて歩きにくい。また転んだりしたら踏んだり蹴ったりだ。

 それに、隠れた場所にこいつとふたりきりでいるのは、なんというか、恥ずかしい。誰かに見られたらまずい気がする。

[page]

あとがき

アナテマ・フィジクスのプロローグです。ちょくちょく続きを書いていくので見てみて下さい。
こちらが詳しい情報ののっている公式サイトですー。 http://anathemaphysics.herokuapp.com/

背景素材はきまぐれアフター http://www5d.biglobe.ne.jp/~gakai/ 様と空彩 http://loo.sakura.ne.jp/sozai_m.html 様よりお借りしました。

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