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人類最期の愛を君に誓う。

neoretro

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 仕事から帰ってきた僕を君は今日も玄関まで迎えに来てくれた。

 「ただいま」と僕は言う。君からの「おかえり」の挨拶はない。代わりに返されるのはぎこちない、まるで覚えたてのような笑顔。でもそれだけで充分だった。

 そもそも君は僕の言った「ただいま」という言葉の意味さえ理解しているか怪しいだろう。人間が、いや犬でも猫でも、動物であるならば抱く、家族が無事に帰ってきたことに対する安堵の気持ち。君が見せたその笑顔は、君の僕に対する「おかえり」だ。愛おしい笑顔を、僕は君の小さい体ごと抱きしめる。

 僕の胸に顔を埋めた――正確には僕に無理やり埋めさせられた――君は、一瞬苦しそうに身をよじらせたが、やがて自然と受け入れてくれた。腕の力を緩め、少し距離を取り、君を見下ろす。

 君の顔には頬から下あごにかけて、短くて茶色い産毛のような体毛が生えている。それは男性の髭とは違う。もっと、原始的なヒト……猿の体毛に近い。

 

「そろそろまた剃らなくちゃいけないね」

「あ……う?」



 やはり僕の言葉を理解していないのだろう。君は不思議そうに音を発し、首を傾げている。

 君が言葉というものを失ってから二週間が経った。

 君の退化は悪化の一途を辿るばかりだ。

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 一九七四年十一月二十四日。

 エチオピアの北東部に位置するハダール村で、ひとりの女性の人骨が発見された。

 彼女は僕らが生まれる遥か三一八万年前、この地球に生存していた。

 生を終え、母なる惑星の胎内へと還っていた彼女は、不躾な祖先達の手によって土の中から掘り起こされた。永き眠りから目覚めたばかりの彼女に聴こえてきたのは、喜びに沸く人達の歓声と、不思議で奇妙な旋律。まるで自分が宙に浮かんでいるかのような音楽。当時、世界的な人気を誇っていたロックバンドのあるナンバー。

 

   「Lucy in the Sky with Diamonds」

 

 彼女――アウストラロピテクス・アファレンシスの女性はルーシーと名付けられた。

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 ルーシー。

 それが世界から与えられた君の新しい名前だ。

 突如として始まった人類の退化。

 その最初の一人が君だった。

 医学界からマスメディアに君の存在が知れ渡ると、彼らはこぞって君のことをルーシーと呼び始めた。もちろん四十年前の世紀の発見にちなんで。

 普通の女学生だった君は公衆の面前に引きずり出され、世間の好奇に晒された。

 同時に君は得体のしれない難病を患った悲劇のヒロインと化した。

 だけど僕は知っている。ルーシーなんて呼ばれる前の君は、決して自分のために哀しむようなことはしなかった。

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 君は強い人だった。そして誰よりも他人の痛みに敏感で、心優しい女性だった。

 数年前、僕達の国で原子力発電所の事故があった。海洋と土壌は放射能に汚染され、故郷を追われ、職を奪われ、愛する人を喪った人がいた。

 君は面識もない誰かのために涙を流した。そして深く憤った。

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  「文明なんて捨ててしまえばいいんだ!」







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 そのとき僕は君の発言に否定も肯定もしなかったと思う。

 君はいつだって白か黒。中庸を知らないはかりの針はいともたやすく振り切れる。

「人よ。原始に帰り給えって?」

 冗談交じりに僕が尋ねると、眼にはまだわずかに涙を溜めたまま、君は小さく頷いた。

「せっかく便利な世の中になったのにさ。そんなのもったいないって言う人もいるかもしれない」

「知らないよ、そんな人」

 その突き放した言い方に僕は思わず苦笑する。

「適者生存って知ってるかい?」

「虫は蛙に、蛙は蛇に食べられちゃう。要するに弱肉強食の話でしょ?」

「うん、最終的に行きつく所はそこなんだけれど、ちょっと違うかな」

「ふぅん。ならどういうことか、説明してよ」

「地球上の生物は皆、神様が決めたルールに従って生きていかなくちゃいけないんだよ」

「神様が決めたルール?」

「そう。たとえば生き物が暮らす場所。

 暑いところ、寒いところ。明るいところ、暗いところ。水が多いところ、少ないところ。そして捕食するもの、されるものという関係性。

 神様が決めた一方的で不条理なルールに対応しようとして、生き物は形や色を変化させ、時に新しい機能を得たりする。そして最もルールに順応できた個体が、その種の次のリーダーになることができる」

「子孫を残せるってこと?」

「その通り。毒を持てば蛙は蛇には食べられないし、枝に化ければ虫は蛙を騙すことだってできる。生存の確率は当然、高くなる。

 だけど、神様でもないくせにルールそのものを変えてしまった生物がいる」

 遠回しな物言いになったけれど、聡い君は僕の言おうとしたことを理解したようだ。眉をひそめ、無言で僕に続きを促してきた。

「人間は白い蝶も黒く染めた。

 十九世紀、産業革命の時代にロンドンの森は、工場が排出する煙の煤で黒く汚れてしまった。白い翅は黒い森ではよく映える。だから敵の目をごまかすために、蝶は翅の色を暗化させざるを得なかった」

「……やっぱり人間は文明なんて捨てるべき」

「でも人間も自然の一部だとしたら、それだって自然の摂理かもしれないよ?」

「違うよ。ルールを決めるのは神様の仕事でしょ? 私達は私達だけが生きやすい世界を創ろうとしているだけ」

 そう。僕達は生きている。僕達が生きやすいように設計された無駄に便利で複雑な生きづらい世界に。

「私、思うんだ」

 君はまっすぐに僕を見据えて言った。

「私達はいらない荷物をたくさん背負ってるんだよ。だから神様に頼んで少し軽くしてもらおう」

 なるほど、と僕は頷く。

「それで、積み荷をひとつずつ解いていって、そうしたら最後になにが残るんだい?」

 すると急に君は黙り込んでしまった。考えていなかったのか。いや、そういうわけではなさそうだ。君は悩んでいるようにみえた。口に出して言おうか、言うまいか。

 やがて決心して君が紡ぎだした答えは――本当に歯に浮くようなもので。

 君は照れくさそうにはにかみながら、こう言ったんだ。



「……愛、かな?」

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 脳の縮小及び言語中枢の退廃、類人猿に見るような体毛の発生……人は人としての機能を少しずつ削っていく。原始に生きたヒトとしての記憶を取り戻すために。

 

 朽ちた無人の研究施設の一室に、君はひとり鎖でつながれていた。[page]



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 毛むくじゃらの君は、もうなにも覚えていない。檻に閉じ込められた野生の動物のように、歯をむき出しにして僕を威嚇する。[se gnash]

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「久しぶりだね、×××」

 僕は君の名前を呼びながら、ゆっくりと近付いていく。

「ごめん。ずいぶんと待たせてしまったね」

 君が「施設」に保護されてから、世界は大きく変わったんだ。

 結論だけ述べると、人類は諦めた。君を貴重なサンプル「ルーシー」として連れ去った彼らも、既にこの世にはいない。

 友人が、家族が、恋人が、テレビの向こうの有名人が、朝起きたら【猿(エイプ)】になっているかもしれない。いや、もしかしてそうなっているのは他の誰でもない自分かもしれない。

 そんな環境下で正常でいられるほど、人間は強くなかったみたいだ。僕達は翅を黒くすることはできなかった。この地球を自らの手で変えることこそが適者生存、人間の生存戦略だったのかもしれない。

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 ウウ、

    ウウウ、

 

 

       ウウウウウ、

          ウウウウウウ――



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「大丈夫。すぐに解放してあげるよ」



 僕は背負っていたギターケースを床に置く。

 ケースの中身は楽器ではない。中から狩猟用のライフルを取りだす。

 僕は一度小さく息を吐いてから、ライフルを構える。そして――

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 銃口から硝煙が上がり、

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 君をつなぎとめていた鎖の留め金が床に落ちる。



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 ウ、ぐぁ

   ウ……ぐ……

 

 

      ウウウウウウウウウウウ――――!

   

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 跳ね上がるようにして君が飛びかかってくる。

 僕はバランスを崩し、君に組み伏せられるような形で地面に倒れこむ。

 小柄な体躯のどこにそんな膂力があるのだろうか。僕は抑えつけられたまま、動きを完全に封じられる。

 ライフルは手を伸ばしても届かない位置にある。

 ……元より使うつもりもないけれど。

 

 僕は覚悟を決めて目を閉じた。

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 三ヶ月前、僕は君を「施設」の彼らから護ることができなかった。

 人類の存亡という大義名分に屈したんだ。君が彼らからどんな「実験」をされるか、理解していながら。

 僕は、君を裏切った。

 その償いのために、僕は君を迎えにきたんだ。

 だから僕は君に、君の手によって――

 

 ウウウウウウウウウウウウウウウウウ――――



 怨嗟が込められた君の唸り声が迫る。この体勢なら、君はいつでも僕のことを殺せる。

 野生のままに、喉笛に食らいつき、噛み千切ることも可能だ。

 けれど、

 いつまで経ってもその瞬間が来ることはなかった。

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 雨の……雫?

 おもむろに目を開ける。

 人間であった頃の懐かしい君の泣き顔が目の前にあった。

「ウ、ウウ……ウウ、ウ」

 ……違う。それは錯覚だ。

 体毛に覆われた君の表情は窺えない。 

 だけど君は確かに泣いている。誰かのためだけに涙を流す君が。



「そう言えば君は昔……言っていたね。

 そうか。ふふ、そうだったのか。君は、君のままでいてくれたんだ」

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 僕が怒りだと思っていた唸りは、君の嗚咽だった。  

 君の雫が僕の頬を打つ。

 散りばめられたダイアモンドのように、きらきらと。

 それは美しく、紛れもなく人のぬくもりだった。



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 神様が定めた人類の最期が近付いている。

 僕もやがて君と同じように、いずれ還る日が来るのだろう。

 自我や理性や意識がすべて、ひび割れたコップの中の水のように零れ落ちていくのだろう。

 そうして最後に一滴、残るものは一体何か。

 

「僕も……同じだよ」

 

 君が照れくさそうに語った言葉を思い出し、胸に刻む。そして誓おう。



 ――君を愛する心だけは、決して忘れない。



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あとがき

お読み頂きありがとうございました。

はじめまして。
neoretroといいます。

今後また作品書いたり、
皆さまの作品読んだり、
楽しく活動していきたいと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします。

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